海外にて

今はパリ

帰国して忙しく仕事をしまくって。

といいつつ、昨日からはパリ。連休明けまでまたヨーロッパ。ブリュッセルにも少し寄る。

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眺め

物がほとんどなくなった部屋を見て、感傷的になる。

誰かがWebで書いていた。留学から帰りたくないと思えるのは、部屋を見て感傷的になるのは、そこでの日々が充実していた証拠だと。

その気持ちはよくわかる。

留学は孤独だ。その孤独さが、人を研究にむかわせるともいえよう。メールやネットで人とつながっていても、例えようもない孤独感は常にある。それは人にとって大事な経験なのかもしれない。自分が何を求めてそこに来ているのか。何が大切なのかが、よくわかるからだ。

空港のゲート前でこの記事を書きながら、よく晴れたスウェーデンの空を見て思う。私がここに来たのは真夜中だった。曇りがちで雪さえ降っていた。

ここで過ごした日々はいったい自分にとってどういう意味を持つのだろう。私には、まだそれが想像さえできない。

こういうものはめぐり合わせと言ってもいいようなものだ。まさかここに来るとは思わなかったのだから。

それが自分の人生に一生残る影響を残すことは間違いない。その大きさは途方もないもののような気がする。それがどのくらいのものになるか、まだ予想さえできないのだ。

しかし、人を認め感謝する気持ちは強くなったと思う。世界は広く、素晴らしい人たちがいる。

自分が世界に生きていると実感できたのは、とてもよかった。スウェーデンとウプサラ大学に感謝しなければならない。彼らのこれからがすばらしいものであるように祈る。

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最後の夕食

友人とタイ料理店で夕食を食べる。Uppsalaの研究組織やPharmacometricsの話。いろいろと面白い話もあるのだが、また今度。

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Final Day

今日がUppsala大学での最終日。教授は今日は海外出張なので、昨日に挨拶して、モデリンググループで写真を撮った。今日は全員の前で挨拶して、贈り物をもらったり。そのあとで、いつも通りのプロジェクトミーティングに参加して進捗を説明。その後、お返しにチョコレートを返したり。

感傷的にもなるが、現実が変わるわけではないことにも気づく。帰国しても研究は続くし、学会発表もあれば論文の準備もある。NONMEMだってあと2-300回は優に動かさないといけないだろう。ある意味、「卒業」さえしていない。外部学生になったようなものだ。

PMxの世界はそれほど広くないからPAGEでも再会するし。日本の人たちとだってそうだが、息は長い。

でも、面と向かって感謝の意を示すのはこの機会しかないから、やっぱりそうしてよかったと思う。

たぶん、日本では昨日今日は大学や大学院の卒業式が多いだろう。心機一転するにはいい機会だから、少し自分を考え直す。といっても、今日も研究室でNONMEMを動かしているけど。

Uppsalaは今日はとてもいい天気で、雲一つない快晴であった。スウェーデンへの春の到来は遅く、本格的に春になるのは5月を待たなければならない。

だが、確実にそれは近づいている。

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隣の席

研究室にいてそろそろ1年。

私は座席が変わらなかったが、もともと人の出入りの多い研究室なので、隣の席の人は何人も変わった。

Uppsalaでは、ここに長年滞在すればするほど広い部屋や座席を与えられるというルールがある。必ずしも年功序列ではない。「滞在期間」が重要なのだ。さすがに、名のある研究者だと最初から少し広い。だが、D3の学生とポストのある研究者が同じくらいの広さの部屋にいるなんてことはざらだ。欧米人の好きな、「部屋の大きさが立場を表す」というルールは完全でもないわけだ。

なので、人が出ていくと、スライドするかのように人が新しい部屋に移っていく。

さて、みんな大学生なのでおしゃべりは好きだ。ずっとしゃべっているわけではないが、何か気を抜きたいときに適当な世間話をしたがったりする。

私はここでは恐ろしいほどにGeekだった。要はしゃべってるよりは論文を読むかNONMEMという生活をしていたから、隣人も話しかけづらそうだった。私からはめったに話さなかったし。

そういうわけで、より楽しい人の近くに(笑)、あるいはもっと言えば、窓際に移りたくて、私の両隣の隣人はよく変わったものだった。

しかし最近、定着している。隣の女の子はアメリカで修士をとった子だが、モデリング経験はあまりない新人Ph.D studentだ。だから、論文を読んだり、NONMEMを勉強したりと余念がない。

一言も話さず黙々と勉強したい彼女にとっては、私は素晴らしい隣人のようだった。こういうタイプは、あまり多くないのだが、やっぱりいるところにはいるのだと思った。

こうして、私の左隣の席はしばらく固定することになったのだった。

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セミナーの雰囲気

ヨーロッパでPharmacometricsでHandsOnがあるセミナーを6回ほど受けたことになる。

日本のセミナーのほうが、少し堅苦しいかもしれない。やはり外国人の場合はジョークもあるし、スライドも面白い。プレゼンとして楽しませようとしているのがわかる。受講生の雰囲気もフランクだ。日本の場合は、先生と受講生、という雰囲気がもっとするなぁ。東洋だからかな。

日本のほうが、目標は高い。受講生は大変だと思う。ヨーロッパの場合、セミナーの目標の置き所が違うというか。ヨーロッパの場合は最終目標はテクニックであり、その外に出ていくことはない。論文の紹介を通じて、実課題への応用法を示唆するだけである。日本の場合は、よりアプリケーションを意識している。逆に扱う技術は少ない。

日本のセミナーのユニークネスはけっこうなものだ。日本人のためのものだから日本語だけれど、英語で海外で実施してもコンテンツは通用するだろう。

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日本怖い

帰ると考えても、日本怖い。

正確には日本が怖いというよりは、日本を取り囲む国際情勢、緊張感が高すぎて、大丈夫だろうかと思ってしまう。

近現代の戦争を考えると、先制攻撃というものは非常に有効だ。日本は理念上、専守防衛であるから撃たれるまでは撃ちかえせない。さすがにミサイルを撃たれて「着弾を待って反撃」するなんていうことはない。

私は幼少のころ、日本は平和憲法を遵守している素晴らしい国だと学校では習った。

だが、大人になって理解できたことは、日本の平和は圧倒的な米軍の存在感の下で守られていたということだ。冷戦構造という超大国の対立は、代理戦争としての多くの戦火を生んだが、そういう地域は戦略的に限定されていた。

アジアの様相が変化し、相対的に米国の立場が低下する中で、日本はこのままで大丈夫なのか、大変に不安だ。欧州からみたら、日本の周りは紛争地帯のようなものである。

戦争は感情と利害から生じる。勝利することで益のない戦争を行うことは稀であり、勝てばかならず経済的、政治的なメリットがある。そして、相手国への反感があればなおやりやすい。戦争は国家間の外交的課題の解決手段の一つであり、日本はその手段をとらないというだけだ。

日本に対して戦争を仕掛けるメリットはある。勝つことで得られる、海洋資源、領土、経済的な賠償請求、国家の昂揚感、施政者への支持の大きな増大。日本は平和国家だと宣言しているが、現時点でも平和国家とみなしてもらえてはおらず、過去の歴史を反省しない軍事色の強い国家というイメージである。

やるならたぶん、嘘でもなんでも「日本が先に発砲した」ことにするだろう。勝ってしまえばそれを真実にできるからだ。平和国家と言いながら最後は武力に訴えた、過去を反省しない日本だ、と喧伝すればよい。私が日本に戦争をしかける施政者ならば、そうするだろう。

日本を一発殴って目を覚まさせ、様々な妥協を引き出す。それは常に選択肢に含まれている。それについて、リアルな分析をしておいてほしいのだ。

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めぐる季節

3月もすぐに1週間が過ぎた。

Uppsalaはまだ寒い。最高気温は2-3℃、最低気温はまだマイナス8℃なんて数字を普通に示す。

だが、雪はあまり降らなくなった。最高気温が徐々に氷点下を越える日々の中で、町の雪は溶け始めて、主だった道や屋根から雪が消えている。雪は道端に寄せられる形で残っていて、視界にはまだ白いものが多いが、スウェーデンにも確実に春が訪れようとしている。

スウェーデンの春は遅い。4月の30日ごろにヴァルボルグという祝祭がある。ワルプルギスの夜のことだ。本格的に草木が芽吹き、空が晴れるのは5月からだ。しかし、3月のUppsalaは確実に冬を脱しつつある。

私がこの街を訪れたときの季節にゆっくりと近づいている。空は曇り、空気は肌寒い。まだちょっとした気まぐれに雪が降るような季節だ。私はこの街に夜中に到着し、いきなり宿泊先のホテルを見つけられず、緊急で泊まったのだった。それが留学生活のスタートだった。

来たばかりのころを思い出すと感傷的になる。あのときはまだ今頃どうしているかなんて考えることもできなかった。

月末で帰国するのだが、そんなことが想像もできないほどまだ忙しい。帰国してからのことも考えることができないくらいだ。

来た時に研究室にいた人も何人かはもう去っていった。私のいる部屋のメンバーもオフィスの変更などもあって、来た時からいる人は一人しかいない。

忙しい中で春が近づいてくる気がする。

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ユーロ

まぁユーロをやめればいいじゃないという考えもあるのだろうけど、それは難しい。

もともと、EUの前身であるECの時代からこのコミュニティは関税を撤廃し、経済発展させるためのものであった。欧州各国の産業は国によって得手不得手が異なりもちろん所有資源も異なっている。関税を相互にかけることは常に高コストとなり、円滑な経済活動に支障をきたす。鉄鋼と石炭という戦後直後の2大資源、それも軍事的な意味が強い資源についての共有をベースに構築されたのは立派な理由がある。

1971年までは、固定相場制だったのだ。金1オンスが35ドルであり、各国通貨は変動幅1%の中に抑えられていた。金が本質的な通貨であり、金本位制だったわけだ。これがどうしてそうなっていたかというと、第二次大戦後、世界のほとんどの金をアメリカが所有していたからである。ドルは金と交換可能な世界通貨であったのだ。一方、戦争の勝敗にかかわらず、欧州経済は疲弊の極致にあった。

ただ、ドルはその後のアメリカ内の貧困層の救済、いくつかの戦争のために湯水のように使われる。金ストックはどんどん減少することになった。そして1971年、ニクソンショックとして知られるが金‐ドル交換が停止される。ブレトンウッズ体制の終焉である。こうして、今に至るまで、変動相場制が続く。互いの国家の貨幣価値はその需要によって常に変動しながら決定される仕組みになった。

この変動相場制では、欧州の各国が異なる通貨を使っていては経済圏の意味がなくなってしまう。マルクとフランとリラとペスタの間で為替が変動すれば、それは関税と同じ意味を持つ。つまり、欧州にとって単一通貨の導入は目的からして当然だったわけだ。

なので、今でもユーロそのものをやめることができない。それは現在のEU圏の実効性を大きく破壊するからだ。

でも、これは難しい問題なのだ。国家はもともと、それ自体で存立できるために産業を育成する。ところが単一通貨制度を導入した国家群となると、生産管理の難しさからきしみがでる。要は、EU圏で必要な農作物の量は決まっているが、各国家の生産量をあわせると余剰になったりする。単一国家はこれをコントロール可能だが、国家群の場合はより困難だ。結果として、競争が発生し勝利できなかった農家についての保護が財政的に各国に発生する。英国は19世紀からほぼ農業をあきらめているが、例えばスペインは農業の割合が多かったりと、むらがあるのだ。

ユーロの価値維持は常に難しい課題なのである。

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EUの解決策は?

古典的であるが、解決策については政治的な統合が考えられる。つまり富の再分配や地方開発を行える強力な中央集権型の欧州政府を構築しなければならない。つまり、合衆国とすることである。

が、これは難しいんじゃないかと思う。欧州の歴史は民族対立の歴史である。彼らは1000年以上あまりやってきたことは、結局は、「国境の内側を保護」し、「国家として周辺国家と交渉する」ことの繰り返しであり、それこそが自分たち民族を保護するためのもっとも有効な手段であったからである。これは今も変わってはいない。

欧州に共同体構想が存在するのは、文化的なルーツによる。彼らはギリシャ文化を思想的に受け継いでおり、ローマ帝国という歴史上稀な統一国家によって空前の繁栄を得ている。共通文化の基盤は主としてキリスト教と、ゲルマン系あるいはラテン系の言語。そして西欧を中心に発達した人権思想と民主主義である。

これらはスラブ系の住民が含まれキリル文字が利用され、キリスト教宗派が異なる東欧圏を考慮すると微妙な部分がでてくる。東ローマ・ビザンチン帝国を文化発信源とする地方は少し雰囲気が違う。が、だいたい欧州をたばねる基盤はこれらである。

これらは人々を緩やかに欧州に結び付けるが、決して国境をなくすまでにはいたらない。

EUは、非EU圏、つまり外部に対しては、経済的な力と影響力を発揮するためのナショナリズムに基づいた組織である。米国や日本、アジアと伍してパワーを発揮するためのものだ。

一方で内部においては、もし円滑に運営するならば多様な国家のナショナリズムは抑制しなければならないという組織である。

こういうものを運営していくのは綱渡りである。

だが、私は彼らに期待もしている。欧州は何度も大きな破たんを迎えており、日本と比べると滅びゆく中での生き方については長けた人々である。

EUの内部で生じている現象は、ある意味ではグローバリズムが何をもたらすかという現象の縮図でもある。

したたかな彼らがどうこれを乗り切っていくのか、日本人である私は勉強させてもらいたいと常に考えているのだ。

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