思い

師匠

台風の過ぎた後の町も、まだ雨がちである。台風のおかげで9月の残暑はようやくやわらいだような気がする。

私はせっぱつまった案件が一つあって、今日はそれに没頭することにしていた。論文の束とコンピュータを持って近くの店に行き、食事をとったりしながら R を動かしている。

頭を使うところは何とか今日終わりに近づくことができ、あとは作業と集計、描画という段階になって、ふと思いをめぐらせた。私の尊敬する人物のことだ。

どんな人であっても、師たる人を持たないということはあるまい。

この世は五体満足であれば充分に生きて貢献できるというようなものではない。日本で生きていくにはある程度のスキルが必要である。その所属する組織に貢献できると思わせるだけのスキル、それを果たしていくためのスキルである。

スキルと呼んだがこれは、困難にもめげない精神力や相手の気持ちを察する力のような人間力であることもあるし、それこそファーマコメトリクスのような専門知識であることもある。こういうものを、まとめて人の世で生きるためのスキルと呼んだだけだ。

これらスキルの大部分は自ら身につけなければならない。確かに学校で教えてくれるものもある。が、生きるために役立てる水準まで伸ばすには、まずもって本人の覚悟と長年の努力が必要である。人間力のようなものは、自分が痛い思いをして学んでいくこともある。やや宗教的な言い方かもしれないが、一生が修行なのである。

そのうえで、それに付け加えられるような形であるが、人生のある時期、あるタイミングにおいてだけは、導いてくれる師匠が必要だと私は思う。

それは、ああなりたいという憧憬の対象であるかもしれない。あるいは日々、厳しくも鍛練してくれる存在かもしれない。ただ一人であるとは限らない。そのような人の存在は、生き方を変えてくれる。

人は自らの想像力の手の届く範囲でしか人生を生きられない。その狭い、自分で作った壁の向こう側を、現実感を持って見とおし、手を伸ばすことは一人ではかなわないことだ。この、自分自身を打破するために、人は人を必要とする。

私は決して本人に伝えたことはないが、心の中で慕っている人物がいる。その人はまぎれもない、私にとって師たる存在であるし、これからも決して変わることはないだろう。私はその人を尊敬し、目指してきた。その人が見せてくれた世界は、私の想像以上に深く豊かな世界だった。私はその人に出会わなければ、人生は変わっていただろう。

人の世は、自分がすべてを制御することなどかなわない偶然と混乱によってできている。その波のもたらす浮き沈みは、人を大きく翻弄する。

私たちは自分たちの私的な世界について話すことをしてこなかった。これからもないかもしれない。私はその人がつらそうなとき、かける言葉を見つけられるかどうか。

しかし私にとってその人はかけがえがなく、私は最後まで味方なのだ。

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