よく思うのだけど、母集団解析というのは面白い言葉だ。
統計学においては母集団と標本は厳密に区別され、統計解析の目的は母集団の推測にあることがほとんどである。そのため、母集団解析という言葉が用いられることはない。
母集団解析とは母集団薬物動態解析あるいはそれを歴史上の起点にもつPharmacometricsの世界で用いられている。これは日本語の問題ではなく、Population Pharmacokinetics、Population approach、Population analysisと呼ばれる専門用語の訳である。
私は統計学が好きなので、この言葉には違和感を感じる。が、現状このように用いられることはしょうがないと思う。
理由は、そもそもの薬物動態解析というものは統計解析を示していないからだ。薬物動態解析は主として薬物速度論解析を表している言葉である。単一の個体から得られた薬物の濃度の経時変化を、いかにうまく要約するか。いかに適切に解釈するか。そしていかにうまく予測するか(予測のために役立てるか)が、学問上の最大の関心事であったし、それは今もかわらない。
それは京大のYamaokaによってモーメント解析が提唱されたことによってもよくわかる。個体データに対してモデリングを繰り返すことは、正直しんどい。同じ薬物でも個体ごとにモデルが変わってしまうことがあり、それは本質的なことというよりはサンプリングタイムや定量下限のような人為的な影響もある。モデルは必ずしもうまくあてはまらないから、検討に時間がかかる。そこに、どんな濃度推移をしていてもその個体の薬物動態を要約できる方法が提唱されたことは、薬物動態解析を非常に楽にしたのである。1978年のことだ。このモーメント解析は血中濃度推移自体を確率分布とみなすものである。この考え方は、薬物が投与されてから循環血中に移行し、そして体内から消失していくという経時推移、微分方程式モデルの考え方をまったく取り払った静的なものであり、薬物動態という観点からは発想の転換としかいいようがないものであった。統計学的な概念を導入し、モデルから解放されることによって、いかなる個別濃度推移も解析可能にしたわけである。もちろん、その代償として、薬物動態の特徴を要約する、記述することが主体となり、システムに対する理解は浅くなり、予測については放棄するわけである。
このことからも、薬物動態解析はまず個別解析にフォーカスがあたっていたことがわかる。薬物動態解析においては、薬物動態をうまく表すためのパラメータにはどのようなものが適切かということも高い関心があてられた。速度定数は数学的に扱いやすいが生体のいかなるプロセスをも反映しておらず、クリアランスや分布容積のほうが実体により近い。実体に近いというのは、in vitroで評価される酵素やタンパク質のデータから、解釈や予測が可能であることを意味する。クリアランスという概念は1973年にRowlandが提唱したものだが、現在に至るまで薬物動態解析における根幹の概念である。
このような背景から、集団における薬物動態を統計学的に推定するという発想は決して当時の薬物動態で支配的ではなかったものと考えられる。
そのため、母集団薬物動態という、「母集団」という呼称がつけられるようになったのは自然のことだったのであろう。母集団薬物動態解析は、1972年にSheinerによって歴史に登場する。この当時はPopulation pharmacokineticsという呼称はされていないが、概念はここで登場している。そして最初のCase Studyが1977年に発表される。SheinerはDigoxinやProcainamideのような狭い安全域の薬剤の投与設計に関心があり、これがモチベーションになったと考えられる。論文においては既に最尤法(Maximum Likelihood Method)の適用が記述されており、方法論的には70年代後半にNONMEMの開発とともに検討されている。
そして、Population pharmacokineticsという呼称は1980年のSheinerとBealの論文タイトルに用いられた。NONMEMの最初のバージョンが1979年に開発され、それを用いたPhenytoinの解析である。Phenytoinもまた、非線形動態を示す使いづらい薬剤であり、第1報がこれであったことはSheinerの日常臨床における母集団解析の適用という視点から考えて、自然である。おそらくこの論文により、Population pharmacokineticsという概念と呼称が広まっていったのだろう。第2報、第3報が81年、83年に報告され、以後の発展については言うまでもない。
歴史的に興味深いことは、非線形混合効果モデルについては統計学上もSheinerの論文が初ということである。混合効果モデルはLongitudinalなデータについての直感的にわかりやすい解析であるが、線形混合効果モデルは1970年代後半にHarvilleによって研究され、我々が今知っているような形に定式化されたのは1982年のLairdとWareのBiometrikaに掲載された論文であり、そこでNotationを含めて現在の我々の知る形となったのである。これを考えると、母集団薬物動態解析がいかに特殊なものであったかがわかる。
しかし、非線形混合効果モデルの適用や発展が主として統計学者ではなく、むしろ実務家といっていい薬物動態の研究者をベースにして発達していったことは、決して偶然ではない。一般に、反応変数が曲線を示していても多項式モデルに代表されるように線形モデルでの解析は可能である。しかし、そのようなモデルにおいては、観測範囲を越えた領域への外挿や予測、パラメータの解釈が不可能であることが多い。非線形モデルが適用されるのは常に、その応用分野において評価が確立している構造モデルを適用することによって、予測や解釈が発展する状況においてなのである。非線形モデルの重要性が高くかつ大規模に行われており、かつデータに階層が存在し、変量効果の考察が重要な意味を持つほどにデータがばらつくのは医学薬学領域であり薬物動態だったわけである。非線形モデル自体は工学領域でも汎用されているが、繰り返し測定とクラスターの存在を無視しえないのは生物学領域に多く、線形混合効果モデルの応用が農学、畜産、生態学において進んだのも偶然ではない。
薬物動態におけるCompartment Model解析は、1970年にDedrickの手によってほぼ仕上げられている。またクリアランス概念や分布容積については1970年代に概念的に確立したことを考えると、1970年代後半から1980年代の前半にかけては、薬物動態解析の中に統計学的な概念が持ち込まれた時代であると考えることができよう。そのうちの1つは個別解析における適用と汎用化であり、1つは集団の薬物動態特性の把握だったわけである。
母集団薬物動態という言葉の起源はこのようなものであり、それはこの学問領域の誕生したときの時勢を反映している。その後、この領域はPharmacometricsというより広い概念に包括されていくことになる。Pharmacometricsは言葉自体はかなり早期に用いられるようになるが、広く用いられるようになるのは、医薬品の開発生産性の低下をきっかけとする臨床方法論の見直しと、それに伴う臨床データのモデル解析としての学問領域へと進化して定義されてからであり、それはおおむね2004年のFDA White Paperの公表と重なるだろう。
我々はみな、この領域の創生をになったSheinerらの末裔である。そして、Newtonの言葉にもあるように、我々は巨人の肩にのっているからこそ遠くまでを見渡せるのである。
最近のコメント