チェッカーズ
チェッカーズは今考えても不思議なグループだ。
彼らはアイドルとしてデビューした7人組である。おそらくもう今の若い人はフミヤがソロになった後のことしか知らないかもしれない。チェッカーズは当初、強力なアイドルバンドだったのだ。1983年デビュー、1992年解散。10年活動したことになる。アルバムも10枚。
Wikipediaってありがたいものだ。活動期間やアルバムが時系列に並んでいる。記憶に頼らずに済む(笑)
このバンド、面白いのは、1983年から1986年までの最初の4枚のアルバム。ここでの音楽スタイルはアイドルソングであり、アメリカンポップスが主流なのだ。
アメリカングラフィティと言ってもいいな。アメリカの高校生あたりの陽気な生活、恋、悩み、そういったものを快活に歌っているというか。
80年代の半ばというのは、歌謡曲とニューミュージック、アイドルと歌手といったもののクロストークというか、混合が始まる時代だ。チェッカーズみたいに、歌手志望なのにアイドルとしてデビューした人たち。CCBみたいにアイドルなのにロック歌手としてのカラーを強く出したかった人たちなどが混在している。
チェッカーズもアイドルでありながら、自分たちの活動を音楽に集中している。彼らの活動全体を俯瞰すると、確実に彼らはバンドであり歌手なのである。
この、83年から86年の間にも、最初は他人の作った歌を歌っているのだが、徐々にオリジナル曲が入り始める。アメリカングラフィティの最高傑作としてのアルバムになったのは、4枚目、1986年のFLOWERというアルバムであり、後年も人気の高い曲が多い。
また、Song For USAも86年である。チェッカーズのアメリカンスタイルはここで完成されるとともに、終わったともいえよう。
世相だなぁとも思う。高度経済成長を経て、オイルショックを克服し、バブルへ駆け上がろうという時代。アメリカにここまで単純に憧れ、日本が見習っていくスタイルは、今日ではほとんどない。チェッカーズの初期スタイルは、現在ではありえず、この当時だからこそという感じがする。
面白いのはこのあと、87年のGOというアルバムからセルフプロデュースに入る。オリジナル楽曲のみで勝負するのだ。
チェッカーズはおそらく周囲の人たちが想像する以上に、高い実力を持っていた。作詞作曲、演奏技術においてだ。スキルは年々向上している。彼らは、バンド内で楽曲のコンペをやっていた。タカモク以外は全員曲が書けるわけであるが、6人で作詞作曲するバンドというのは非常に珍しい。彼らは解散まではアイドルという立場を崩さなかったが、単純なアイドルとして生きていくのはもう無理だった。光GENJIにファンを根こそぎ持っていかれた(笑)からであって、チェッカーズは残ったファンを音楽で捕まえていくのだ。
後期チェッカーズは、アメリカンポップスの香りを残しながら独特の楽曲を発表していく。私が理解できないのは、彼らの音楽を類型化することが難しいことだ。
普通は、誰かの影響を受けているので音楽には出自を感じることができる。が、彼らの場合は、アメリカンポップスと、ちょっとかっこつけたアイドル風の演出を維持しながら、アーティスティックな部分を目指したため、何とも言えない混合型のスタイルになったのだ。
だから、現在に至っても類型のバンドを見つけることは難しい。CHAGE&ASKAの活動後期にもやや似たような雰囲気を感じるが、出自としては歌謡曲の影響が強いことがわかる。
そういう意味で、チェッカーズはユニークなバンドだった。活動中期から後期にも名曲が多く、彼らが本当にやりたかったことが何だったのかは個々の楽曲という形からわかる。
が、キャロルにあこがれて始まったバンドがどうしてこうなったのか。着地点としては予想の斜め上というか、分析にあてはまらないような気がする。
| 固定リンク
« 人を比較すること | トップページ | 師匠とか »
「音楽」カテゴリの記事
- 君の名は希望 (乃木坂46)(2014.01.06)
- 遠い街へ (指原莉乃)(2013.10.13)
- ガチでなければバラードは美しくない(2013.09.10)
- 誕生 (中島みゆき)(2013.03.21)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント