翳りゆく部屋 (荒井由美)
荒井由実、最後のシングルである。この歌の発表の後、荒井由実は結婚し、松任谷由実となる。
この曲はユーミンの歌の中でも決して最初に思い出される曲ではないが、知名度は高く根強いファンが多い。かくなる私もその一人だ。彼女のファンであれば、まず間違いなくこの歌を知っているし、格別の思いを持っていてもおかしくないだろう。
この歌は別れの歌である。それもあまりいい別れではないことが推察される。歌い手は女性であり、彼女の恋の一途さ、真剣さが歌からは伝わる一方、男の方はややそれほどでもない。ちょっと下衆なのではないだろうか、思いやりのないつっけんどんな別れが感じられる。
--------------------------------------------------
窓辺においた椅子にもたれ、あなたは夕日見てた。
投げやりな別れの気配を横顔に漂わせ。
二人の言葉はあてもなく、過ぎた日々をさまよう。
振り向けばドアの隙間から、宵闇が忍び込む。
--------------------------------------------------
1976年の歌である。学生運動に身をついやしていた大学生の雰囲気が察せられなくもないが、猛威をふるった学生運動は70年代の後半にはもう下火になっているから、この歌に込められている情景にそういうものを感じるのはやや考えすぎかもしれない。
だが、恋愛にかける真剣さ、真摯さが伝わるこの歌は、当時の若い学生の生き方を反映している気もする。
別れの時にお互いの言葉があてもなく過去をさまようというのは、よくわかる情景であるし、いくつかの小説にもみられる。心象風景と自分の目でみたその場の情景、ゆっくりと近づいてくる夜が、光のささないふたりの関係を示している。
--------------------------------------------------
ランプを灯せば町は沈み、窓には部屋が映る。
冷たい壁に耳をあてて、靴音を追いかけた。
どんな運命が愛を遠ざけたの、
輝きは戻らない、私が今死んでも。
--------------------------------------------------
荒井由実が美大の出身だったからかどうかはわからないが、私はこの描写、部屋の明かりをつけると町の風景は見えなくなって窓に部屋が映るという一節がすごく美しいと思う。男は部屋を出ていき、歌い手の女性は遠ざかっていく彼のことを心の中で追いかけている。
私がすごく気になるのが、「私が今死んでも」という言葉である。
この歌詞は、すごく唐突に、かつ倒置法により最後に差し込まれる。
恋を失った女性が嘆くのはわかるが、死を思うほどのものなのだろうか。自分が人生をやり直してもなお、もう輝いた日々は戻らないという悲嘆の大きさ。これが、淡々と歌われるこの歌に差し込まれると、どうしても強い印象を受けずにはいられず、動揺してしまう。
この歌はパイプオルガンやストリングスによって、賛美歌に近い雰囲気に仕上がっている。荘厳なつくりである。この編曲、私にはよくわかる。私でも絶対そうする。この歌をピアノ伴奏一本とヴォーカルで聞くことを想像してみるといい。あるいはアカペラで。この歌の作り出す世界はあまりにも暗く、ちょっと耐えられない。
この歌は、少ない歌詞とストレートなメロディーで、非常に強い詩的なインパクトを与えることに成功している歌である。私はこの歌を聴くとすごく悲しい気持ちになる一方で、死の淵から見える世界の美しさに息を飲む思いがする。
なお、荒井由実はこの歌を最初、「マホガニーの部屋」という名前で、少し異なる歌詞で作っている。メロディーなど含めて最初に作ったのは14才の頃だったそうだ。
インターネットでは、「マホガニーの部屋」の歌詞も調べることができるが、翳りゆく部屋の方がより大人の世界を構築していて、もっと踏み込んだ孤独を感じる。荒井由実の歌は文学少女の歌のように聴こえることが多いが、現実の世界の悲嘆のほうがより静謐な美しさがあると思う。
この歌は多くの歌手によってカバーされている。が、オリジナルをまずは聞いたほうがいい。
| 固定リンク
« β細胞のふるまい | トップページ | 野心 »
「音楽」カテゴリの記事
- 君の名は希望 (乃木坂46)(2014.01.06)
- 遠い街へ (指原莉乃)(2013.10.13)
- ガチでなければバラードは美しくない(2013.09.10)
- 誕生 (中島みゆき)(2013.03.21)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント