M (プリンセス プリンセス)
プリンセスプリンセスの名バラード、M。
プリンセスプリンセスは幼馴染でもなく学校の同級生でもなく、そういう人間関係のベースがあって構成されたバンドではない。各楽器、パートのオーディションで選抜された人で構成された、いわば寄せ集めのバンドである。それが、ガールズバンドとしては商業的に最大の成功をおさめた。
プリンセスプリンセスを名乗る前には、アイドルバンドとして赤坂小町という名で活動したが売れなかった。これを打開するために、彼女たちはプリンセスプリンセスというバンド名でいわば殴り込んだのだ。
2012年、彼女たちは東日本大震災のための義援金募集のためのチャリティバンドとして活動を1年限定で再開している。残念なことに、私はそのライブに行くことができない。
さて、プリンセスプリンセスの名バラード、Mである。印象的なピアノの旋律の後、歌唱が始まる。プリンセスプリンセスの楽曲においては、3拍子がうまく使われていることが多いのだが、Mもそうである。Mはバンド譜こそ4/4なのだけれど、前半語るように自分の気持ちを歌う部分は三連譜を基調に構成されていて、聞くだけだと6/8拍子の楽曲のようだ。
(というか、こう書いていいんだろうか? Webで調べると4/4なのだけれど、彼女たちが使ったのは6/8なんてことはないだろうか。)
のびやかな旋律を歌う部分になって、ボーカルは4/4としてのテンポになるのだが、ドラムやギターはすべて3拍子を基調とした伴奏を続けるので、基本は3拍の楽曲である。
私がこの楽曲がすさまじいものだと思うのは、これが歌う失恋の姿がなぜだかすごく鮮明であることだ。
この歌は、別れてからだいぶ時間が経った、女性の感情を歌っている。彼女は愛する男性から別れを切りだされ、そして関係は終わりを告げた。「季節はまた変わるのに、心だけ立ち止まったまま」というのは、別れから経った年月を物語っている。感覚的には、2-3年後のような気がする。
歌詞の中に散りばめられたイメージは、とても共感が得られるものだ。彼女は常に彼の左側を歩いていた。「あなたのいない右側に、少しは慣れたつもりでいたのに」という言葉。
それなのに、彼女は今でも「涙がでる」。その理由はもちろんまだ愛しているからだ。他に理由があるだろうか?
でもそうとは認められないから、理由がわからないと歌う。でもまた、あなたを忘れるのに「勇気がいる」と歌う「。彼女が持つ、未練がすごくよくわかるフレーズなのである。
「今でも覚えている。あなたの言葉、肩の向こうに見えた景色さえも」という言葉には、私は正直うなだれてしまった。別れを言い渡されたときの景色はなぜか、視覚的によく覚えていることは、私もよく知っているからだ。私もよく「覚えている」のである。そう、肩の向こうの景色さえも。
歌の中で、彼女は回想する。「出会った秋の写真には、はにかんだ笑顔、ただうれしくて。」と。そして、「こんな日が来ると、思わなかった」と続くのだ。
「出会った秋の写真には、はにかんだ笑顔、ただうれしくて、
こんな日が来ると思わなかった、
あぁまばたきもしないで、あなたを胸にやきつけてた」
ここは聞きようによっては解釈が別れる難しい場所だ。「こんな幸せな日がくるとは夢にも思わなかった」と聞くのが正しいだろう。
ただ、私は最近、まったくそう聞こえなくなったのだ。こんな日というのは、別れてもなお忘れられなくて涙を流す日々のことなのだと聞いても解釈が成立する。このあたりの歌詞は、幸せなころと現在との間を短い間隔で往復している。ここでは、感情が大きく振幅していると考えるほうがリアルではないか?出会って、恋が叶ってうれしかった。でも、こういう別れを想像できなかった。そんな日が来ることも知らず、「まばたきもしないで、あなたを胸に焼きつけた」と歌っていると考えると、私にはとてもわかりやすく、かつすごく悲しいのだ。
(なお、私の解釈のほうが間違っていると99%断言できる。音楽の自然な抑揚と感情の抑揚のリズムが合わなくなるから)
直後に、「消せないアドレス、Mのページを指でたどってるだけ」と歌うではないか。
そう。この歌はあくまでも現在の歌なのだ。決して戻らない自分の恋を、はかなんでいる。そしてそこから抜け出せないのだ。気持ちが過去と現在を行き来しているだけなのである。
目に見えるかのような詩が続く、「黒いジャケット、後ろ姿が誰かと見えなくなっていく」なんて、恐ろしいイメージではないか。おそらく、彼女はその光景を見たわけではない。現実の世界には、新しい恋人を連れて別れを告げる人もいなくはないだろうし、私もそういう人を知っている。が、その場合は「誰か」なんて言わないはずだ。ここは彼女の心象風景とみなすべき部分だ。でも、それほどまでに鮮烈な思いが、彼女の中に浮かんでいる。
そしてそんな傷ついた気持ちと、彼をまだ愛しているというその気持ちも、ゆっくりとではあるが消えようとしている。「星が森へ帰るように」消えようとしている。彼といたときにしていた「小さなしぐさ」も、「はしゃいだあの時の私」も。それは夜が終わりを告げるかのように自然なことなのである。それは極めて緩慢なものであって、忘れつつあるのは確実であるのだが、まだ新しい一歩を踏み出せていないという、長く続く場所に立っていると。今でも声が聴きたい、アドレスも消せない、夢にもみて目が覚める。どうやっても忘れられない気持ちの中で、でもそれは、少なくとも通り過ぎていく取り戻せない過去であることは、もう十分にわかっているのである。
「星が森に帰るように、自然に消えて」は、現状ではなく願望であるという解釈もありえる。つまり、今はそうではないが、そんな風に今の気持ちがおさまっていってほしいと願っているという心が歌われているというものだ。「自然に消えて」が、叙述なのか祈願なのかの違いだ。
このあたりは、聴き手に任されているところなのであろう。歌は、聴き手の数だけ解釈があっていいもののはずだ。
プリンセスプリンセスには良い恋の歌がたくさんある。バラードであればジュリアンという歌も人気があり良い歌であろう。
だがこの歌は、上に書いた解釈からもわかるように聴き手の自由度が高く、それはほとんどが、彼女がどのくらいその恋をあきらめているかという程度についての解釈が多様だからである。だから聞きようによっては身を切るような歌にも聞こえるし、そうでなくも聞こえる。
私はこの歌は鮮烈な歌だと思う。この歌詞は、富田京子というドラムのメンバーによって書かれたものに、ヴォーカルの奥田香が曲をつけた。実際の富田さんの経験によるものであり、肩の向こうに見えた景色がどこであるかもわかっているらしい。
身を切るような思いでこれを歌にしてしまい、そして名だたる名曲にしてしまうこと。それができることは、恐ろしいほどの意味で、彼女たちがほんもののアーティストだったことを示している。
私は、これほどのプロになれるかどうか、いまだに自信がないのだ。
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