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鬼束ちひろ

私は鬼束ちひろの音楽と、最近はじけきってどうにかなってしまった独特の人柄がいずれも大好きなので、ここでもよく聞いているのだが、私の気が合う友人も好きだと聞いてかなり驚くとともに、大喜びしたヽ(´▽`)/

このブログでも、極めてマイナーなカテゴリーであり誰も読んでいないだろう音楽というカテゴリーで忘れたころに季節に一回くらい更新しているのだが、そこにはまだ鬼束の歌を扱っていない。一人の歌手・アーティストから何回も選ぶよりは広い範囲で勝手に独り言を紹介しようという考えもあって、一曲選びたいのだが好きな曲が多すぎて扱えないままでいる。

世に、音楽批評のブログなどたくさんあって、しかも人の胸を打つような名文が書いてあるのをみるにつけ、あぁ、自分にはこういう楽曲紹介はとてもでないが書けないなぁ。。。とがっかりすることもある(;ω;)

鬼束ちひろがやりたい音楽は、アメリカンポップスに近い。初期のWe can go、Little beat Rifleにみられるような楽曲である。しかし当初の月光の大ヒットから、鬼束ちひろはかなり神秘的かつ清楚なイメージのアーティストとして展開していくようになる。

これが後半の、正直もうどうにかなっちゃうんじゃないだろうかというような破綻活動休止にもつながるのだが、鬼束ちひろの恐るべきところは、あの悲嘆と諦念が見え隠れする薄暮の世界観を、見事に楽曲として表現してしまうところにある。彼女の内面にある本質的な狂気が、それを可能にしてしまっている。

今の、ニコニコ動画でみられるような、あるいは本に書いてあるような金魚の目玉を食べてしまうくらいいっちゃった独特の性格が本当の彼女だといわれる。そういわれるほうが、初期の楽曲から現在に至るまでの楽曲の世界が理解しやすい。むしろ、よくもまぁこれほどまでに商業ベースでも通用するほどの普遍性を持たせた世界を構築できたと、驚嘆せざるをえない。

それは、鬼束の楽曲に存在するポジティブな要因によるところも大きいだろう。初期の楽曲には、性的なものも含めた愛への希求がみられる。それは名曲として名高い流星群から、別離の覚悟をうかがわせる私とワルツをまで、随所にみられている。こういう、自分に極限まで引き寄せた歌の一方、Little beat rifleや自作ではないが守ってあげたいのような、他者への励ましや愛情の垣間見える歌を歌いこなすところが優れているのだ。

鬼束の楽曲は、詩から先に作られる。語感が重視されるため、歌詞の意味が簡単には頭に入ってはこない。Castle Imitationの「燃えさかる祈りの家に、残されたあの憂鬱を助けたりせずにすむ」という一節は、私が一生かけても思いつくことのないフレーズであるが、おそろしいほどのインパクトがある。一方で、聴き手が解釈する余地を残していながら、その解釈は最終的にはかなり普遍的なメッセージにたどり着くようにできている。

と。。。 まぁ勝手なことばかり書いているがブログというそもそもチラシの裏とほぼ同レベルな読み物だから、よしとしよう。(◎´∀`)ノ

結論としては「鬼束最高」と、ベネチアで意気投合した。

おかげで、研究に気持ちを切り替えるのが大変だ。。。

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