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配置換え

2003年の秋の話だ。

私はその頃、熱心に母集団解析の技術を身につけようとしていた。セミナーや研究会の資料を片手に、NONMEMやS-PLUSを何とか動かしていた。その頃のXposeは3.1であり、S-PLUSからsourceコードとして読み込んで使うものであった。

私の関心は母集団PKPD解析に向かっていた。Population PKよりも、やはり薬理作用を説明するためのモデリングが大切だろうと思っていた。そのためにJusko型のPKPD解析を身につけたいと思っていた。

しかし、当時はまだ私の手元にはほとんど道具がそろっていなかった。Journal of Pharmacokinetics and Biopharmaceutics は難しすぎ、読みすすめるのは困難だった。いったい何を書いているのだろうと思ったほどだ。

今になってみれば、最初にアタックする雑誌を間違えていたが、その頃はもちろんそれに気づくことはない。

残暑が終わりに近づき、ようやく涼しくなるある日のことだった。会社の組織改編があることは半年前から知らされており、そのための業務を行なっていた。それもほぼ終わっていた。

9月の終わり、全員が一人づつ呼び出された。といっても、別に業務環境が変わるわけではない。全くの儀礼的なものであるという雰囲気があった。

しかし、私には違った。

私の職場は別に変わることはなかった。今まで通りの仕事を、今まで通りの職場で進めればよい。しかし、所属組織は変わる。そしてその組織は新設されたものであり、立ち上げのための様々な努力を必要とした。

そしてその組織にいる限り、”臨床”に携わることは決してなかった。ありえなかった。当時の私は臨床プロジェクトの担当者ではなかったが、母集団解析を勉強する意味は持てるような組織にいた。それが来月からは、母集団解析の勉強を公的に続けることは、”あってはならないこと”とさえいえた。

このときの話を、私は他人にしたことがない。私の落胆は2011年の今になってもまだ、うまい言葉にならず、この決定を許すこともできていない。

所属長に発令を言い渡された後で、私は居室の上のフロアで仕事を続けていた。目の前の画面に、刻一刻とLC-MS/MSのMRMクロマトグラムが描かれていく。内部標準物質と測定対象物質のピークがやや離れて描画される。重水素体の内標を用いるような段階ではないプロジェクトでは、これが普通だった。私はその画面を、なんとなく距離を置いて眺めていた。

部屋に、その人が入ってきた。私の隣に座る。私たちの間に言葉はなかった。その人は私のような配置にはならず、これから臨床プロジェクトにより密接に関与していくことになることは明白であったし、事実その通りになった。私は要はリストラクチャーされたのだ。

その人は私に何かしらの慰めの言葉をかけたと思う。私はその言葉を覚えていない。

私たちの関係には変化はなかった。私はそれから多忙な生活を送ることになるが、母集団解析の研究は業務とは関係なく執念で進めるものに変わった。

この配置転換は振り返ってみると不思議な影響を及ぼしたといえる。後に、この組織からもう一人、ファーマコメトリクスを追う人が育つことになる。

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