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時計の針

2002年の春の話だ。

夜、私たちはファーストフード店に寄った。ここはそれなりに評判がよいところで、マクドナルドに行くよりはここを私たちは選んだ。

もう何年も行ってない。道も忘れてしまった。店が広いわけでもなく、単に帰り道の電車の最寄駅に近かったというだけだ。しかし一生で一番通った店だと思う。

そこで私たちは何か世間話をした後、非線形混合効果モデルの勉強に移った。

そもそも尤度という概念にさえ慣れていなかったころだ。私たちにこれは荷が勝っているものだった。でも、積分記号と確率密度関数に何か私たちは魅せられていたところもあったかもしれない。

しかし、数学的な道具立ての難しさにはなかなか歯がたたなかった。線形代数の通り一遍の知識では不足なのだ。

そしてNONMEMによる解析のことについて議論をした後で、その人は言った。

「やはり思ったよりも難しい」

飾りのない言葉に、私も好感を持って答えた。

「非線形モデルだから、近似の概念が随所に出てくる。その近似に目を奪われると、本質的なところを見失うのかもしれない。混合効果モデルはそれだけでも、要は線形でもあなどってはいけないものだろうから、LMEの知識を身につけたほうがいいみたい」

「プラクティカルにはFOとかFOCEとかの違いが大切だろ?」

「そうだろうけど。」

私たちの話は、今になってみれば決して高度なものではない。いや、高度なものである必要は別になかった。これも今になってみてわかる。結局のところ、ヒトは身の丈にあったことしかできないのだ。いきない悟りを開いて、超人になることは現実の人生ではありえない。

帰りがけにふと言った。

「NONMEMが開発されたとき、動態解析はふつうの非線形最小二乗法があたりまえだった」

「そうだな」

「Sheinerの初期の論文は、OLSの重みづけに関するものだということが、その時代を表している。でもそのあとで、ELSということをやり始めた。混合効果モデルをいきなり持ち込んだ。臨床統計でさえそんなことはしていなかったのに。」

11時をまわっていたと思う。

「そしてNONMEMを作った。すごいな。彼らは間違いなく、時計の針を大きく進めた人たちだよ。どうやったらそんなことができるんだろう」

2011年の今、私は自分の言葉を反芻することがある。母集団解析は医薬品開発にとってますます重要になっている。計算機の発達は、現実の課題にさらに縦横に解析を適用できるようになった。それらが集まって、Pharmacometricsとなった。いや、Pharmacometricsという言葉の歴史は2000年代ではない。JPKPD、いやJPBにPharmacometricsというセッションが作られたのは、1982年である。そのChief EditorがSheinerであった。

その2年後の4月、Sheinerはスイスのバーゼルで亡くなった。私たちは一度も彼をこの目で見ることはなかった。

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